2004年秋・錦秋湖底の水没遺構群

  秋田県との境を成す奥羽山脈・和賀岳(1440m)をはじめとする山々に源を求める、岩手県・和賀川水系。
  しかしその流域は有史以来、幾度となく水害に見舞われた。
  この流域と下流の北上川流域の洪水被害を抑えるべく、「湯田ダム」の建設が計画された。
  そして、1951年からその準備が開始されたが、622世帯の移転補償交渉はじめ、鉄道や道路の移転、鉱業権補償、発電所水没補償が難航し、総事業費146億円
 のうち実にほぼ半分の72億円がこうした補償に充てられ、1957年になってようやく補償交渉が終了した。
  翌58年にダム本体工事開始、64年ついにダム完成を見た。
  ダム完成によって出現する、長さ東西16kmにおよぶ人造湖は、「錦秋湖」と命名された。

  同時に、この地に暮らした人々の営みは長く湖底に沈むことになった。

  JR(旧国鉄)北上線(旧横黒線)は、岩沢−陸中川尻(現在のほっとゆだ駅)まで延々15.4kmに渡って現在線に付け替え。
  旧線上にあった和賀仙人駅・陸中大石駅(現在のゆだ錦秋湖駅)は現在線上に移転、旧大荒沢駅は現在線上で信号所に格下げになった後、その信号所さえも
 1970年に廃止されている。
  一方の国道107号線。延長13.3kmが付け替えられた。
  以来、北上線は現在線切り替え以来の姿をほぼ留めているが、国道107号線はカーブが多く狭隘なため、自動車専用のクリックすると拡大表示します秋田自動車道が開通(1997年)して以来
 も、無地内橋(2000年)、杉名畑トンネル(2003年)と、年々改良工事が進められている。


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  ダム完成から早40年。
  2004年秋、この地に革命がおきた。
  「施設の点検と老朽化が進んでいる部分の補修...」との名目で、水位を下げるという情報が飛び交った。
  早い話が、水抜き。
  この作業によって、ダム本体の機能維持という本来の目的のほかに、もう2度と地表に現れることはないと思って
 いた(のは、管理人だけ?)物が、思いがけず日の目を見ることになったのである。
  しかも管理人自宅からたかだか数十kmの地。

  もう駆け付けずには、いられない。


  (右の写真をクリックすると拡大表示します)

  ※なお、このコンテンツは、その趣旨を達するためパノラマ画像を多用しているが、画像サイズには配慮しているのでご了解ください。

    まっと
1)廻戸橋

  本家(「魚や貝と戯れて」)の写真集「陸上編」で以前公開していた、JR北上線・廻戸橋橋りょうを渡る、
 SL錦秋湖号の未公開映像(2002年9月16日、国道107号線廻戸橋から撮影)
  (何故未公開だったかというと、ただ単に写りが悪いからである! 事実、左端には国道橋のトラス
 や、SL見物の人が写ってしまってたし)

  では何故今更この写真を引っ張り出してきたのか?
  それは、走り去る列車ではなく、列車が渡っている橋りょうにこそ注目!だからである。

  もうこの辺りから、錦秋湖は始まっている。
  というか、この辺(実際はもう少し西寄り?)が湖の最上流部になる。
  これはもちろん通常水位の場合の話。











  これが、2004年秋の特別水位ではどうなっていたか?

   * ここで、特別水位について。
   * 2つ前の写真で写っていた立て看板にも記述されている通り、通常の水位より6m下がっている。
   * するとどうなるか。
   * 水没していた旧橋やその他の遺構が、軒並み地上に現れる可能性がある。

  で、見えたのが、こんな風景である。
  上が現在のJR北上線橋りょう。フェンスの向こうが砂利敷きである。
  そしてその下方が、旧い国道107号線の廻戸橋


  こんな風景が垣間見えるなど、SLに目が眩んでいた2年前には思いも寄らなかった。
  同じ場所にいるとは、到底思えない。



  今度は、違うアングルから。
  枯れ枝がかなり邪魔だが、重厚な造りと橋上の草がなんとも言えない味わいを醸し出している。















2)無地内橋

  先にご紹介した、2000年に開通した国道107号線・無地内橋。
  薄紫色のトラスが、春夏秋冬、いつの季節も妙に周囲の風景とマッチしている。


  2000年開通。
  ということは当然、それ以前の橋もあった。
  が、やはり過去形なのである。
  今の橋の開通後、先代は跡形もなく解体されてしまったのである。


  北上方から湯田・横手方を望む。
  現在の橋のすぐ右手に、かつての旧い橋があった。





  ところが!である。

  このパノラマな風景は、どうだ。

  先代が既にこの世を去ったのに、先先代(の形見)が
 生き残っていると言っても過言ではないのではないか?


  (現橋の北上方袂:上の写真の対向車線側に立って
 見下ろす)






  そういう風に言い切れる確証が、これである。

  北上方袂に残る、欄干と橋台。
  21世紀となった今からでも、橋を1本架けられそうな気がしないでもない。
  (橋台は横手方にも見られる)
  旧旧とでも言うべき、無地内橋の在りし日の姿を髣髴とさせる。

  それに、妙に真新しいこの轍!
  その辺の田圃道より、状態は良いのではないのか?








   

3)大石橋

  1960年に開通した、現在の大石橋。
  ダム完成以来の姿を留めるこの橋は、管理人の知る限り、沿線唯一の狭さ?!を誇る。
  大型車は橋上で交差できず、袂で停止して待機する姿を頻繁に見かける。
  もちろん普通車とて、おっかなびっくりの通行である。
  ここより横手方、無地内橋付近が見違えるほど幅広く直線的に整備されたので、余計
 にネックに見える。
  この写真も、この日の風の強さを差し引いても、相当怖い思いをして撮っている。
  その狭さゆえ、歩行者に与えられた空間などないに等しいのだから。

  で、旧い大石橋が、現橋の右下に見えている。
  手前、北上方から大石沢沿いに来て、橋の袂でカーブ。
  橋を渡ってから、かなりヘアピン気味にカーブして横手方へ向かっている。


  いかにも危険な線形である。
  特に横手方、鋭角気味に橋に差し掛かる線形を初めて見た。




4)大荒沢ロックシェード

クリックすると拡大表示します  横手方より、国道107号線を北上方へ向かって、下の5)に至る少し手前に、湖に下りられる
 小公園ふうのスポットがある。
  (冒頭の立て看板も、ここに立っていた物である)

  そこから、湖の対岸を眺めてみる。
  上方、旧峠山牧場・スキー場跡の下に横たわる、旧北上線の大荒沢ロックシェード
  これは、通常水位のときでも辛うじて見えるのであるが、このときは水面がこんなに低かった。

  (左の写真をクリックすると拡大表示します)








5)杉名畑トンネル・横手方坑口と杉名畑第2号橋
















  先述したように、10年余りの歳月をかけて開通した杉名畑第1号トンネルと、同第2号トンネル、
 そして杉名畑第1号橋と同第2号橋。
  なお両トンネルは、内部で接合されていて、1本のトンネルとして利用されている。

  トンネルと橋によって直線化されたこの区間は、かつて山すそを湖に沿ってくねくねと縫うように
 通っていた。
  (上の写真は横手方から北上方向を望むが、旧道はいったん左手にカーブし橋を渡った後、
 現在のトンネル坑口前を右手前方へ)

  トンネルの北上方坑口で現道と旧道が交差しているが、その高低差は数mあるため、現在は
 バリケードにより旧道の通行ができなくなっている。
  そして、旧道はアスファルトが根こそぎ剥がされ、ご覧のような砂利道になっている。





6)同所から見た、旧大荒沢地区。

クリックすると拡大表示します 



クリックすると拡大表示します

  皆さん、ここが管理人一押しの展望スポットである。
  旧道化して、車の往来を気にする必要がなくなり、それはより一層価値を増したと思われる。
  もっともこの日は風が強く、遮る物もなく飛ばされそうになりながら、涙目で必死にシャッターを切ったが、こうして死ぬ思いをした甲斐あって、
 このような絶景に巡り逢えたのである。

  左上、旧国鉄北上線(旧横黒線)の大荒沢駅跡(写真をクリックすると拡大表示します)
  右上、旧尼瀬橋(と思われる)の橋脚跡。
  中・下、一帯のパノラマ画像。(下の写真をクリックすると拡大表示します)




7)道の駅錦秋湖から見た、旧大荒沢地区。

  2000年にオープンした、「道の駅錦秋湖」。
  それ以前にも、この地にドライブインがあったと記憶している。
  湯田ダムのダムサイトと錦秋湖を望める地として、現道開通以来ドライバーの小休止スポットとして
  利用されてきたのだろう。

  この道の駅の建物内に、湯田ダム完成以前の一帯の写真が飾られている。
  大荒沢、杉名畑、といった部落名を見ることができる。
  冬景色で、そして人は写っていないが、明らかに人々の生活が見える暖かい写真である、と思う。

  そして、特別水位のこの時期、満々と水を湛えたいつもの風景はなく、変わりに昔を偲ばせる風景が
 垣間見える。


  旧国鉄北上線(旧横黒線)の、仙人トンネル。
  横手方坑口の跡が、この風景の中に潜んでいる。




  道の駅完成以前、売店の建物があったと記憶する付近。
  駐車場の先は切り立った崖になっていて、1歩先は何十mと落ち込んでいる。
  この時期、枯れ枝の向こうに旧大荒沢ダム提体が認められる。


  駐車場の脇、崖っぷちに立ち木が並ぶこの地にあっても、探索当日の風はかなり強く、
 ここでも必死の思いを余儀なくされた。
  そして、見る見る体温が奪われていく。さっき缶コーヒーで暖を取ったばかりなのに。

  ダム提体ではなく、枯れ枝にピントが合っているし、だいたい提体の右側が切れてしまっている。







2004年11月26日(金)17:00をもって、「点検と補修」の一連の作業が終了したのだろう、水門が閉じられたという報いが届いた。
これらの遺構群は、再び水に浸かり、永い永い眠りにつくことになる。

終わり

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