国鉄日中線
その2
初夏の日差しの中、桜並木の廃線跡をペダルを踏むと、その先に見えたものは...
【4】なおも北上
雲間から太陽が少しずつその存在を主張し、気温もジワリと上がってきた。
しかし廃線跡は、桜並木によって実に心地良い木陰と涼しい風を通る人にもたらしてくれる。
少しずつ上り坂になるが、それらのお陰で、全然苦にならない。
またもアクセントのつもりなのか、数十mに渡って縁石が数十cmほど張り出している。
これまた現役当時にはなかった車道によって、遮られている。
ここに限らず、普通踏切という物は車道(車、自転車、歩行者・・・)側が止まって列車の通過をやり過ごすものだが、廃線によって立場が逆転してしまっている。
それにしても、先程から、オバチャン風の女性や幼稚園か小学生ぐらいの子供と時々すれ違っているが、いずれも近隣住民の方々と思しきいでたちで、観光客風の人々は見受けられず、実に長閑である。
会津地方の有名な観光地として、鶴ヶ城や飯盛山、塔のへつり、大内宿、・・・といくつも列挙することができるが、そのほとんどが、観光バスを何台も受け入れることができる広々とした駐車場を構えている。
ここは、近隣に駐車場はあるが、桜の開花する季節はともかくそれ以外はひっそりと時を過ごしているのだろう。
この木陰の散歩道を、人々がそぞろ歩いている絵はなんかそぐわない気がする。(失礼)
前方左手に、なにやら建物が!
トイレのようである。
ますます道路公園っぽくなってきた。
トイレのチョイ先に鎮座する案内図。
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ん?
「現在地」脇にはSLの絵が!
【5】モニュメント
なおもチャリを漕ぐと、突然、目の前にフェンスが出現し、道路は二手に分かれた!
フェンスの中には、二本のレールが敷かれている。
このレールは、廃線当時からそこにあるのだろうか?
そして、そのレールに跨っている物とは?!
喜多方駅の南側に今も操業を続ける、昭和電工株式会社喜多方事業所。
その昭和電工のディーゼル機関車だそうである。
フェンス越しなので、上手く撮りにくいと、フェンスのせいにする
そして、さらにその奥には...
後ろのナンバープレートが無いけれど!
長年にわたり、風や雨や雪に晒されて痛々しいけれど!
C11 63である。
こちらには、明らかに後付けと思われる(ん?でも1975年って日中線未だ現役だったはず??)プレートも。
...と思って調べてみたら、C11 63は、1975年に会津若松において廃車になったのであった。
C11 63は1935年(昭和10年)に川崎車両製造所で造られ、以来直江津・新津・小牛田・会津若松と配属を変えながら走り続け、まさに晩年を会津で過ごしたSLなのだ。
時は過ぎ、21世紀の今、ここで永遠の眠りについている。
C11 63の手前数mでフェンスは途切れ、そこからなぜか板張りの?踏切になっている。
昔の踏切って、こんな感じだったっけか?
C11 63の近くの案内看板。
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1984年(昭和59年)に日中線が廃止され、その4年後にシダレザクラの植樹が行われたそうだ。
満開の季節にもまた訪れてみたいものである。
この看板の後ろで、線路が終わっている。
DLとSLという、前半戦最大のビュースポットを過ぎて、またもとの単調な上り坂・・・風は相変わらず心地良いけど・・・
と思ったら、花壇に色鮮やかな花が、目を和ませてくれる。
沿道の住民の方々の、道路を愛する気持ちが伝わってくる。
風はあくまでも優しく、しかし並木が途切れると初夏の日差しは容赦なく、そのせいで喜多方の駅で調達したペットボトルの飲み物がかなり減ってきた。
ただチャリを漕ぐのみならず、シャッターを押し、ペットボトルを傾ける、そのいずれも止まらないと上手くできないので、かなり忙しい。
また、今の所を撮り直したい!と言って容易に引き返せるのも、チャリならではである。(ここの交通量の少なさも手伝ってくれている)
木陰に並ぶ、涼しそうなベンチ。
でも、座らない。
横切る道たちを交わすごとに、沿道の風景がチョットずつ変化していく。
このとおり、交差点ごとにと言うよりも寧ろ、ペダル1踏みごとにと言っても過言ではないだろう。
冬は雪深い北国の小都市の鉄道廃線跡だなんて、言われなければ分からないくらい美しい。
で、さっきからほとんど全ての写真に言えるのだが、敢えて人物を写さないようにしているのではない。
それだけ人が通ってないのである。
初夏の日は高く、どこまでも長閑である。
その静寂をぶち破るように、チャリを漕ぐ管理人。
今度は道が左端まで寄せられ、代わりに草地に囲まれて石畳上の造形が見られる。
これはもしや、現役当時の道床!
・・・な〜んてことはないと思う、多分。
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右に左に、スラロームぅ!
まさに、風景がめまぐるしく変わる。
原因を考えてみた。
1.交差点ごとに別の業者が設計施工した。
2.交差点ごとに工期を分けて施工した。
3.全区間にわたり、工期は同一、複数業者により設計施工、意図的に変化を持たせた。
あくまで推測の域を出ないが、個人的には3.が一番可能性が高いのではないかと思っている。
かの竹下内閣によって「ふるさと創生事業」が行われ、地方自治体のサイフが潤った時期と一致する。
もちろん、当時の(旧)喜多方市がこの自転車歩行者道をふるさと創生資金を充てて造った。という確固たる資料は、ない。
そして、仮にそうだとしても、その答えを批判する気持ちは毛頭ない。
なおもペダルを漕ぐ。
と?!
皆様、右手になにやら分岐が!
早速潜入する。
クモの巣を避けながら、坂になった芝生の道を上ると。。。。
なんか、広場状。
ここがかの有名な会津村松駅の跡か?!
と疑うも、資料によれば「既に痕跡はない。」と言うし、奥はフツーに民家の屋敷風だし。
喜多方方に向かって斜めに張り出した台形の敷地。
しかもその斜めの部分が、結構な坂になっている。
駅ではないかもしれないが、怪しい!
・・・辺りに人影はなく、確かめる術もなく、しかたなくペダルを漕ぎ続けることにする。
ゴミ置き場、出現!
並行して通る車道側が開くように、しかし、その枢体の全ては日中線の線路敷跡に置かれている。
喜多方駅近くの医院の前から延々と続いてきた自転車歩行者道が、ここで唐突に終わりを告げる。
そしてここから日中線の跡は、自動車も通れる道に格下げ(格上げ?)されて尚も続いている。
喜多方の市街地もこの辺で終わりのようである。
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