旧秋田空港跡

 1961年(昭和36年)10月1日に第三種空港として秋田市新屋町字三つ小屋に開港。
 日本海に面し、冬になると横風の影響を受けやすかったことや、ジェット機の大型化などから、新空港建設の必要性が高まった。
 1981年(昭和56年)6月に、秋田市雄和椿川字山籠49番地(注、開港時〜2005年1月10日まで河辺郡雄和町椿川字山籠49番地)に現在の秋田空港が開港し、それに伴って閉港。

 当時(昭和50年度撮影)の航空写真はこちら 着陸した飛行機がターミナルビルに向かっている。


 現在の地形図はこちら

 管理人がまだ小学生だった頃、学校の遠足でこの地を訪れた。
 YS-11型というプロペラ機が思い出したように飛んでくる、ちっちゃいローカル空港だったが、とても感動したことを覚えている。
 その感動を胸に「飛行機に乗って東京へ行きたい」と作文に書いた(らしい)が、これが某全国紙の地方版に載った。
 それをわざわざ切り抜いて、届けてくれた方がいた。
 その僅か1年後には新しい空港にバトンタッチしたのである。

 滑走路の長さは、開港当初1200mで、のちに1620mに延長された。
 東京まで2時間かけて飛んでいたそうだ。
 航空写真を見ると、滑走路はあるが誘導路はない。
 で、今の空港には必須のボーディングブリッジもない。
 雨や雪や風の日は乗り降りも大変だったことだろう。

 もっとも、まだ当時東北新幹線は開業してなく、上野まで「特急つばさ」で8時間もかかっていた時代。
 人々の移動や交流も今ほど盛んではなかったのだろう。

 そんな旧空港の、「今」を訪ねた。





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 地形図に表示されている、旧空港跡地をカーブを描いて通る白い道路(秋田県道65号線・寺内新屋雄和線)に立って南側を見る。



 跡地の一角には、風力発電用の風車が立ち並んでいる。
 吹き付ける海風の影響で欠航の多かった空港であったが、その風を利用しているのは少し皮肉でもある。

 ガードフェンスが、潮風をたっぷり受けて錆び始めてきている。
 その気になれば、フェンスを飛び越えて滑走路跡に足を踏み入れることもできそうである。
 (防風柵の向こうでなにやら工事をしている様子で、ダンプカーを誘導するおじさんの視線が気になり断念しました)










  別に防風柵を撮ったわけではなくて、警戒標識の脚を撮ったわけでもなくて、(-_-;)
 注目すべきは、柵の向こうである。

 こちらの方向にも、滑走路が続いている。


















  現在、跡地は県道65号線、そして国道7号線秋田南バイパスが通っている。
 旧滑走路は、県警の白バイ訓練?等のイベントに稀に使用されるほかは、人影もなくひっそりとしている。

 すっかり錆びきったフェンスが、寂しそうに立っている。



 かつての秋田の空の玄関は、陸上交通の大動脈の一地点として、また発電基地として生まれ変わった。












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