国道13号旧道部

その2) 秋田県十文字町〜秋田県神岡町


 22) 十文字町梨木羽場

   新旧入り乱れていくつか居並ぶ標識たちは、この道路が国道342号線であると主張しているが、13号線のバイパスから
   20)と21)の間で、旧13号線の道(つまりはこれらの写真を撮り歩いている通り)と交差し、奥羽線を跨線橋で越える新しい
   直線路が国道342号線に指定されてはや数年。

   そのとき以来、この道は十文字町の町道に指定変更されているはずである。


   くどいようだが、この道はれっきとした旧国道13号線であり、また昔の羽州街道の道筋とも重なっている。



  23) 平鹿町金屋

  現道は左へカーブ。
  その後右へ回り込んで奥羽線の
  跨線橋。

  もっと古い時代は奥羽線を踏切で
  渡っていたようである。

  ここを直進してみる。



  左の写真は秋田方向。
  右は福島方向。



  24) 横手市美砂古

  いやでも目に入ってしまうのは、秋田自動車道の高架橋。
  その橋上にフェンスが取り付けられているが、その真下のラインを国道13号線、そして
  昔の羽州街道が通る。

  残念ながら場所の特定には至らないが、その昔、この近辺に一里塚があったようだ。

  またこれも現存しないが、文献を調べると、ここと25)の間数kmに渡って、昭和30年代
  頃まで、松並木が延々と続いていたそうである。





  25) 横手市 安田原十字路

   ここは近年の拡幅工事の影響で、すっかり様変わりしてしまっている。
   右折すると国道107号北上方面。

   左折は国道13号のバイパス秋田方面、そして国道107号本荘方面。
   さらに秋田自動車道&湯沢横手道路の横手インターにも出られる。

   旧道は直進。


   歩道橋は、将来を見越して長めに造ったのか、かなり前から現役のまま健在。
   自転車も通れるようにスロープがついている。


  26) 横手市安田原町

   25)の十字路を直進した所。

   写真奥(秋田方向)に向かって緩やかに下っていく。

   ここも拡幅されてしまっている。

   横手市内は、バイパスの開通から30年以上経過し、その間の道路整備をはじめ
   とする様々な工事の影響を受けてか、国道だった頃を偲ばせる遺物を目にする
   ことはできない。




  27) 横手市横山町

   かつては26)も、この道路幅しかなかった。

   そしてここも、将来道路拡張の計画がある。









  28) 横手市南町 羽州街道踏切(北上線)

   この踏切も、将来道路拡張する計画があり、その前途が危ぶまれる。











  29) 横手市神明町 横手神明社

   かつてはこのあたりが、旧横手町と旧前郷村の境であった。

   今日でも「郷社」として親しまれる神社。










  30) 同所 旧街道は?

   29)とほぼ同じ所から、道筋(秋田方向)を望む。

   写真真ん中に見える1本の木と、その向かいに並ぶ古い民家の間が旧街道。
   ただし一方通行になっていて、車では秋田方向からしか通行できない。

   福島方向からは、左方向に延びる広い道路を進み、信号で右折し直後の信号を左折
   して旧街道に戻ることができる。






  31) 横手市鍛冶町

   30)の後、変形五差路をやり過ごすと、ここに出る。

   この十字路から、旧平和街道(後の国道107号線)が分岐していた。

   「山内道角」というバス停留所があり、当時が偲ばれる。









   鍛治町通り。












  32) 横手市大町

   31)からここに至るまでの間に、突当りを右折、そしてまた突当りを左折する必要
   がある。
   城下町特有の造りなので、街道が屈曲の連続であったことが偲ばれる。
   横手市内は標識も少ないので、初めての人は地図やカーナビや地理に詳しい
   助手がいないと迷ってしまうことだろう。

   この後、33)に至るために、さらにこの道路の突当りを左折する。






  33) 横手市大町 蛇の崎橋跡

   ここには、平成13年10月まで、橋がかかっていた。
   が!河川改修と橋の老朽化と都市計画のために、新橋がかけられたことにより、
   惜しまれながらその役目を終えることになった。

   残念なことに、古い橋が現役だった頃に、たもとに立って撮った写真は「無い」!
   (ホントに残念)

   ちなみに今は、ここに橋がかけられていたことを、この石碑のみが伝えている。
   石碑には、古い橋が昭和6年の竣工以来、橋が架け替えられるまで多くの市民に
   親しまれた旨が記されている。



   横手公園から見下ろした写真があるので、これにて勘弁していただきたい。
   (平成9年撮影)


   夏の送り盆祭りも、そして冬のぼんでん祭りも、この橋が舞台だった。
   そして横手川によって分断された横手の町を、まさに南北に橋渡ししてきた。

   車道部分片側1車線の他に両側に歩道があり、申し分のない幅であった。
   しかし、晩年にはバスやトラックが通ると振動がすごかった記憶がある。
   それだけ橋が老朽化していたのだろう。




  34) 横手市本町

   33)から、元あった古い蛇の崎橋を渡って、3つ目のT字路を右に折れると、
   この風景を見ることができた。
   もちろん橋が架け替えられているので、このとおりに辿ることはもうできない。
   今は、33)から、右手に横手川を見ながら直進し、突当りを右折して新しい橋を
   渡る。その後道なりに進むとここに到達。

   横手市内は、至る所に流雪溝が整備され、その蓋の部分も路肩として利用されて
   いるが、未だ国道だった当時は流雪溝はなく、結果道幅もその分現在より狭かっ
   たはずである。
   側溝に蓋の無い所も多かったのではないだろうか。

   大型車の交差は困難で、屈曲も多く、早い時期にバイパスが整備されたの
   もうなずける。




 29)から34)までの概略位置を、管理人自作の絵地図により表示。

 方位は、上がほぼ北であるが、縮尺は全く適当。


 禁無断転載。
















  35) 横手市新坂町

   34)の後も、左折れ、次の信号のある変則十字路を右折れしてようやくここまで
   到達。
   写っている信号機は押しボタン式で、横断歩道を渡って左手の坂を登ると、市立
   鳳中が建っている。

   この辺りは道幅も結構ある。
   道幅といい、黄色の中央線といい、いかにも旧道っぽい風景である。






  36) 横手市台所町

   この先1kmほどで、現道と合流し秋田方向へ向かう。











  37) 横手市新坂町

   ところで、横手市内にも旧道の旧道(羽州街道)が存在する。
   ここが新坂と呼ばれる由縁であろう。

   これは江戸時代からあった旧羽州街道。
   35)よりも道幅が狭く、勾配も急になっている。

   ちなみに現在国道になっているバイパスは、奥羽線の跨線橋以外はこれといった
   坂もなく、ごくごく平坦に通り抜けている。





  38) 横手市睦成

   これは上の写真からさらに北上し、ちょうど横手高校の裏手の旧街道。
   ここが昔重要な道筋であったことを示す案内板が建てられている。

   近年の工事によって道が広くなってしまい、面影はほとんどない。








  39) 横手市杉沢

   何を隠そう、ここは国道13号線のバイパス上である。
   ところが!ここが昔の羽州街道の道筋だったというではないか!
   管理人の目鼻の先でありながら、自らの不勉強さをあらためて自覚。

   現存しないが、一里塚の跡。
   石碑のみがその姿を現世に伝える。

   ここは38)からは丘を下り、小さいながらも川を渡る必要がある。
   ところが、石碑そばの説明書きによれば、この辺りは小高い山の上だったというでは
   ないか!
   2度びっくり!

  このバイパスの開通は30年以上も前であるが、一帯の山々を相当削り取って、道を通したようである。


  40) 横手市金沢本町

   ここは集落の西側をバイパスが通る。

   これは福島方向へ向かって見つけた古い標識。


   ちなみに、このそばに一里塚があったはずであるが、その面影はまったくない。







  41) 仙南村金沢 仙南金沢小学校前
   
   これも福島方向へ向かって見つけた古い標識。

   屋根付きの歩道橋に掲げられている。









  42) 六郷町

   六郷の警察の所でバイパスと分かれ、さらに県道11号線(通称角館六郷線)と
   分岐した辺り。

   ここにも昔懐かしい標識の数々。


 この写真は2枚とも
 福島方向。













  43) 六郷町役場付近

   そしてここでは起点・福島からの距離標が残っていた。
   消火栓の水圧?で今にも倒れそうだけど、なんとかかんとか建っている感じ。
   六郷の斜塔(笑)










  44) 六郷町 側清水

   今も残る一里塚。
   残念ながら道路の片側(北側)しか残っていないが、その分りっぱな大きな木が
   仁王立ち。

   木が植えられた頃よりも、行き交う交通の速さも量も何倍(何十倍?)にもなって
   いると思われるが、今日も見守ってくれている。






  45) 大曲市内

 ここは10数年前に、大曲バイパスの
開通により旧道になっている。

 43)と同様の距離標が以後点々と。

 ※その全てを確認することはできな
かったが、写真のような1km毎の物は
もちろん、100m毎の小さい物も数多く
残っていることが分かった。
 歩道や側溝の整備があちこちで行わ
れていただけに、びっくり。





   46) 大曲市花館〜間倉 旧玉川橋

   向かって右側に自動車用の新橋ができているため、昔からあったこちらは歩行者
  自転車専用として利用されている。
   ボンネットのバスや三輪トラックなんかが、今にも黒煙を吐きながら橋を渡って
  きそうな気がする。
   ただし、右側の自動車用の橋の拡幅工事が始まっている。〈2003年8月現在〉
   完成後は、この古い橋の運命が危ぶまれる。

   また、このわずか数百m上流には奥羽線・秋田新幹線の鉄道橋が架けられ、もちろん
  「こまち」も行き来する。

   ちなみに藩政期、もちろん橋はなく、人々は渡し舟で通っていた。



  47) 神岡町 道の駅かみおか前

   ここは県内の一里塚では唯一、道路の両側に塚が残っている。

   江戸日本橋から1里の材木町から数えて133番目の一里塚らしい。
   ちなみに塚木はサイカチという木だそうである。








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