土湯峠旧道

 その2 野地温泉〜道の駅つちゆ

  7)小峰古戦場

  ところどころに錆が浮き、文字も掠れつつある古い看板が道路わきに建てられている。

  なんとこの険しい峠道が、戊辰戦争の戦場の一つだったという。
  むしろ峠だからこそ、戦場となったのか。

  会津は、周囲を山に囲まれ数多くの峠がある。福島県の峠の約9割が会津にあると言われる。
  古くから峠によって外的の侵入を阻み天然の要塞となってきたが、戊辰戦争の際にはその峠の
 多さが、守りを分散させることになり、命取りとなってしまった。





  慶応4年(1868年)4月というから、まだ相当の雪が残っていたはずである。
  もちろん140年近くも前に、現在のような整備された道路などあるわけもなく、しかも冬場に
 ただ普通に峠越えするだけでも、かなり困難であろうことが想像できる。

  しばし先人の苦労に思いを馳せながら、アクセルを踏む。








  8)視界が開ける

  吾妻の山に雲がかかる。
  失礼ながら、山の正式な名前は不明。m(__)m
  吾妻小富士(1704m)か東吾妻山(1974m)或いは高山(1804m)方向的にはこのどれかとは
 思うのだが、さて?










  9)R115現道との出会い


  雄大な眺めにうっとりしながら坂を下っていくと、やがて前方にトンネルが見えてくる。
  現在の場所は、
ここ
  写真左側が東鵜川トンネル・福島方。
  そして写真前方に見えているトンネルが西鵜川トンネル・猪苗代方。
  今走っている県道30号線・本宮土湯温泉線は左折しR115に吸収される。






  で、
  私はというと、左にも前方にも行かない。
  最初の青看に、地名表示なしで右方向の矢印のみ描かれているが、ここを右折する。


  だいぶ標高が低くなり、白いものが視界からなくなっていく。








  曲がってすぐに、こんな退場命令もあるが、とりあえず突っ切る。(爆)












  10)遺構

  古びた距離標が、ここがかつて確かに国道だったことを主張する。

 日陰には雪が残る。











  すっかり草に覆われたコンクリ壁。

  人間の営みは常に自然破壊の繰り返しであるが、このような画を見ると、人間がしたことも
 少しは受け入れてもらってるような気がする。と思うのは、傲慢なのか。
  人間がしたことに自然が順応してしまったのか。
  本当はやはり逆であるべきではないか。









  11)並木道

  先程、交差点を曲がってすぐにもあった、高さ制限標識にまた遭遇。


  余談であるが、現地訪問後5ヶ月以上も経ってからレポを書いているため、記憶はかなり
 薄れている。
  理想は、探索後なるべく早く書き上げることであるが、実際かなり困難である。






  12)東鵜川橋

  


  先程の現道との交差点からは、2車線確保され広い道であったのが、ここに来て狭くなる。

  東鵜川橋
  昭和拾后年八月竣功








  13)お地蔵様?

  なおも進むと、道端になにやら立っていた。
  花やら菓子やらが供えられていたので、お地蔵様かなとは思ったが、それにしても重装備で
 お顔も見えない。
  きっと冬支度なのだろうか。
  傘子地蔵ならぬオーバー地蔵とでも言うのか。









  ちなみに、このお地蔵様?とっても怖いとこに立っている。
  見上げればそこには現道のガードレール、そしてひっきりなしに行き交うクルマ達の唸り声。

  みなさん、くれぐれも安全運転で。









  14)注意!

   

  比較的穏やかに下ってきた道は、突然牙をむく。
  いきなりの急カーブ。「注意」と書くだけのことはある。


  15)「土湯五差路」

  もうそろそろ終わりに近づいた、今回の探索。
  しかし最後の最後にとっておきの風景がある。

  現在の場所は、
ここ。写真前方が猪苗代方である。
  実はここは3世代の道路が並んで走っている。
  年代順に、まず今走っている旧道。(福島市道?)
  そして一番左、走っている車が一台移っているのが写っているのが(探索当時の)現道。
  さらにその間を通っているのが、探索当時はまだ工事中で通れなかった土湯道路の
 横道トンネルを含む区間。
  古い時代は、この坂を下り切ったところで屈曲で一番左の道路に乗り移って、福島を
 目指したのであろう。 だから猪苗代方は後方である。

  ところで、上で引用した地図にも、また市販されているロードマップにも、いかにも五差路の
 ごとく描かれているが、
そこのあなた!騙されてはいけない!
  まず、今立っている道路(旧道)と現道の行き来ができない。(注、道の駅つちゆ前から回り込めば可能)
  さらに、探索当時は真ん中の道路が工事中だったので通れない。(工事が完了した現在は一番左側が通れない)
  だから
バリケードを突き破るなどという荒業でも使わない限り、実質、ただ単に2本の道路が近接しているに過ぎないのである。

  初冬の太陽が眩しい。


  ※「土湯五差路」という呼び方は当地でも全く浸透しておらず、管理人が便宜上(話の進行上)勝手に命名したものであることをお断りしておく。

(その2・終)

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